こめろぐ

意味のないコメントのような、日々生成されるログのようなモノ

24回目の夏について

近頃、雨によって阻まれていた暑さが勢いを付けてやってきたのを肌で感じる。 憎らしいあの蝉の声、日差しが直接降り注ぐ青空、空気そのものが生きてるかのような熱。 24回目の夏が始まったのだ。

こうやって夏の回数を数えると不思議なもので、たった24回なのだ。 当たり前だが、1度とて同じ夏は無い。

私が記憶している限りでは、12回目あたりからで当時は毎日自転車で川へ水遊びをしていたはずだ。

13回目は人が倒れるような気温の体育館でボールをネットに放り込んだりもしていた。 そのあたりから地域の祭りも特別な意味を持ち、少年が知っている限りの好きを一生懸命伝えようともした。

17回目でその好きは伝わった。
初めて遠くの海へ旅行に出かけた時だ。 知らない場所へ行くために、知らない電車を乗り継いだ。たしかガラケーで経路を調べたり精度の低いGPSで地図を調べたっけ。
検討もつかないくらい遠い駅から、熱いコンクリートを2人微妙な距離感で歩いて15分。
命からがらチェックインして2階へ。
海が少し見える想像より少し綺麗な部屋になだれ込んで、いつの間にかうたた寝をしていた。
目覚めたのは夕方で、予定にギリギリ間に合ったのを覚えている。 海辺で花火を見るために連れ出して、人の群れより少し外れた砂浜で腰を下ろしたんだ。 それから時間を確認して後10分、雑談が上の空になった。
後5分、伝えたい事がありすぎて頭がめちゃくちゃになった。
後1分、心臓の音がうるさくて泣きそうになった。
花火が打ちあがった。手をつないで伝えたんだ。

18回目は一緒に地域の祭りを回ったな。花火も見た。遅れて会場にきた彼女を走って迎えに行ったんだ。
途中でとんでもない爆音を合図に夜空一面に光があふれる花火があったのを覚えてる。

19回目は一人暮らしで借りた私の木造アパートに、みんなを招いて夜通しゲームやどんちゃん騒ぎをした。
寝てるのか起きてるのかわからなくなるくらいずっと遊んでた。
それから、地元に帰ってまた川でバーべーキューだ。
イカを投げて、肉を焼いて、飛び込んで。
仕事の疲れなんか忘れて夢中で遊んだんだ。

20回目もそう。
夜通しゲームして、川で遊んだ。 夢の国にも行ったっけな。

21回目は少し違う。
夜通しゲームもしたし川でも遊んだが、
嫌になって仕事を辞めて、辛くなって夕日を引っ越した新しいアパートの屋上から見ていたっけ。
それから山奥の川へ釣りに連れ出してくれたんだ。車中泊で3泊4日。
初日の夜で初めて見た星の海、天の川は本当にきれいだった。

22回目もやっぱり夜通しゲームをして川で遊んだ。

23回目も。

私は違和感がある。
回数を重ねるたびに語るべき思い出も、印象的な風景も、匂いも、情景もすべて違う。
それなのに同じような部分が増えているように感じてしまうのはなぜなのか。
あまつさえ、劣化しているとすら感じる。まるで自分が見ている世界がレンズ越しのようで、そのレンズが汚れていくような、曇っていくような、ピントがずれていくような感覚を覚えている。
17回目の祭りと24回目の祭りは違うのに、どうして17回目の祭りには勝てないのか。
こんなにも鮮明に覚えている17回目の海の美しさを前に、これから行く24回目の海は果たして美しいのだろうか?
どうして回数を重ねるたびに夏の密度は下がっていくのか。
時間さえも過ぎ去る速度はあっという間なのに。
それがたまらなく悔しくて、辛くて、私は夏が始まるとそのすべてを思い出して比較してしまう。
蝉の声すら、今の私には古いひび割れたスピーカーから聞いてるような気分になる。
どうしたらあの夏より素晴らしい夏に出会えるのだろうか。