こめろぐ

意味のないコメントのような、日々生成されるログのようなモノ

地元と思い出

最近地元に引っ越しをした。
実家に帰るというのを選択もあったが、色々な事情からやめてその近所に引っ越した。
色々が無ければまた、父と一緒に暮らしたいがそれでも一緒にいる時間は確実に増えるので良しとする。
引っ越し先は、小学生時代でも見知った場所で目をつむってても行ける所にあり、新しい生活や環境にわくわくする気持ちなど微塵も無く、代わりに見知った土地と風景で安心した。
自分の年齢から考えると、間違いなく多くの引っ越しをしたがどうやら僕は地元が大好きなタイプらしく非常に満足している。
多くの人は新しい環境や知らない土地に冒険をするかのような心持ちで、行動するらしいが僕はそうじゃないって事が分かった。

さて、懐かしい思い出の詰まった場所に戻ってきてその思い出をなぞるように街をうろつくと、やはりというか町並みは少し違っているもんで。
少し近代化が進んでいて間違いなく便利になっているが、今思えば古ぼけてても風情のあったいつもの駄菓子屋は無くなってた。
工事中だった場所が道として機能してたり、家があった場所には空き地、コンビニになっていたり覚えのある風景に少しの違和感を残す。
そして悲しくも思う。
自分が変わっているように、町も間違いなく少しずつ変わっているのを実感する。
多分僕は前だけを見て生きていないから、こうやって自分の思い出が本当に自分の中だけの思い出になるがたまらなく悲しい。

僕の思い出話になるが、中学と高校時代はひどくポジティブだった。
以前の記事でも言及してるかもしれないが、今と比べ物にならない。逆境が大好きで燃え上がったし自分を精一杯貫き通してたと思う。
その時に生まれた家族とも思える確かな絆は今でもつながっているはずで、今でも僕を支えてくれてる。
でも、昔と関係性が違うのも事実だ。
大人だから、もう夜遊びはしなくなった。
無理を押して泊まったり、どこか遠くへ行かなくもなった。
やりたいことは確かにあるのに、妥協をして遊ぶようになった。
子供だったあの時なら、満足するまで夜遊びした。
無理を押して泊まりに行って、どこか目的の遠くまで行った。
やりたいこと全部成し遂げようと、全力で遊んだ。
分かっちゃいるが、どこか虚しさが僕の心を満たしてしまうんだ。
それでも追い縋るように、昔の僕たちのまんまだって言い聞かしてたばこを吸いこんで虚しさをだましだまし飲み込む。

こんな感じで僕は、思い出に追い縋ってる。
そうしないと明日や未来に希望が持てないから。生きるためにそうするしかない。
いや、少し違うかもしれない。
確かな絆があった友人にひどく裏切られたから、今を生きる人間が怖くなってしまったのか。
今の人間に裏切られたから過去ならば、思い出ならば僕を裏切らないから逃げているだけか。
僕は、君をとびきり特別だと思っていた。運命共同体だとお互いに本気で思っていたはずなんだ。
だから困ってたら助けるし、いろんなことを共有してきたはずだろう?
でも君は、僕を何度も裏切った。
そのたびに許し、信じた。
結局君は多くの人から好かれるほうが良いらしい。それは人間として自然な事かもしれないが、それでも君はその自らの口で僕を運命共同体だと言ったんだ。
遊びに誘っても食事に誘っても、君は別の予定で上書きをする。
挙句、連絡をよこすときは大体助けを乞うときだ。僕が助けを求めてる時君は昔と違って助けてくれない。
なにも自分が助けてほしいから、君に恩を売ってるわけじゃない。
礼儀を踏まえた立ち振る舞いをしてきたと思う。僕は運命共同体だといったその言葉に誓って全幅の信頼を寄せ、できること全部をしてきた。
それでも君はどこまでも利己的にふるまう。
お金を貸した。
返済日当日は時間がないから次の日に返すと君に言われた。
返済日近くに、僕の都合で生活するのに必要になったから返済日当日何とか時間を作って振り込みをしてほしいとお願いしたら、
君は、自分の問題なんだから自力で何とかしてほしいと言った。
僕はその言葉に心底ショックを受けたよ。
あぁ、無理だなって。君の考えてることや気持ち含めて理解できないなってね。
色々あったが、結局なんとか返済日当日に返してもらえた。
でも僕は前の気持ちに戻れない。
器が小さいかもしれないが、本当に無理だったんだ。
心の底から嫌悪してしまう。

そこからなんだ。
より一層思い出に逃げるようになったのは。
今の人間と生きずらくなったのは。
だって、数十年一緒にいても分かり合えないならもう無理だろう?
そもそもどこまでいっても他人なのを思い出したよ。
心のどっかでは、いつかきっと分かり合えるはずって思ってたけど僕には無理だって理解した。
そうなってくると生きずらくなってきて、いろんな人が少し怖くなる。
ちょっとの言葉の祖語で解釈が異なって、簡単に勘違いする。
テレパシーでもない限り分かり合うことなんて無理だ。
こうなってくると人を愛すなんてできるわけもなく、コミニュケーションのやり方さえ忘れていく。
誰かと話すのが億劫で難しい。
共通の話題があるわけでもなく、引き出すようなお話ができるわけでもない。
どうやって会話してたのか分からず、話す言葉の数が少なくなっているのがわかる。
この先もどんどん難しくなると考えると、生きるのが怖くなる。
なまじ出来てた分、出来なくなるのはより恐ろしく感じる。
生きてく以上他人とのかかわりはあるもんなので、僕にはたくさんの障害があるように思えるようになった。
ただ生きようと思っても難しい。

また、何かを書こうとしたときに未来の僕がこれをみてどう思っているのかとても気になる。