こめろぐ

意味のないコメントのような、日々生成されるログのようなモノ

明日の夜に僕は死ぬ

明日の夜、僕は誕生日だ。
自分がこの世に生を受けた日で、少なくとも少しは喜ばしい日なのは間違いない。
12月24日23時59分59秒から一秒後が僕にとって少しだけうれしい瞬間。
去年は仕事に追われて普通に寝ていたので気にしてないかったが、今年は普通に起きていることができるようなので
少しばかりの期待をしている。
しかし、その12月24日23時59分59秒から一秒後には僕は死んでしまう。
新しい21歳の僕が生まれるからだ。
こんなことを言ってしまうと、一秒後に自分は別人だとか、昨日の自分とはなんなのかとか、そもそも自分は連続して存在し続けているのが事実なのかとか
キリがないので、一年ごとに生まれ変わってるとしよう。
とにかく12月24日23時59分59秒から一秒後に僕は死ぬ。

この死ぬ間際に誕生日が本当に楽しかったのは子供の頃の数年間だったなと考える。
だって、サンタさんの正体には確か小学1年生の頃には気づいていたけど両親の暖かさをその時になんとなく知ることができた。
でも、サンタさんはゲームボーイはプレゼントしてくれなかったけどな。
それから毎年は自分の環境をよく理解できる良い1日になったと思う。
プレゼントはもらいないこともあるし、ケーキとかチキンとかおいしいものがない誕生日もある。
クリスマスと重なってるからクリスマスプレゼントは存在しない、自分の誕生日は基本的には自分しか知らない。
子供ながらに、他の子は色んな友達に祝って貰ってて羨ましかったのを覚えてる。
両親から新しいゲームをもらって、ケーキ食べて、友達からはガラクタから宝物まで色々貰ってて、自分と生きてる世界が違うんだっていうあの気持ちを今でも記憶してる。
というか、現在進行形でも味わっている。

今は、本当に自分の価値がよくわかる1日だと僕は思っている。
楽しい日じゃなくて、1年で自分の行いが他人から評価される日。
友達が多かろうが、少なかろうが、ボッチだろうが、
他人に良い影響を与えて、その成果が祝いの言葉やプレゼントみたいに直接感じることのできる評価となって帰ってくると僕は思う。
酷いかもしれないけど、ある人には誕生日プレゼントをあげたので少なくとも祝いの言葉くらいはくれるだろうと思ったこともあった。
ただ、僕の場合、そういう浅ましい期待は裏切られる経験しかない。この期待も例に漏れずね。
僕の評価は人望が少なく、あまり良い人間ではないというのを、毎年見えないサンタさんから誕生日プレゼントとしてもらってる。
今年もそうなりそうなのだ。
こうして考えると、良い子にしてないとサンタさんはやってこないのは本当かもしれない。
サンタさんとは自分が他人に良いことをして得られた評価の事なんじゃないのだろうか。
人望のない僕は絶望的だ。
僕は結構自分より友人を優先するようにしているつもりなのだが、人望がないのはなぜなのか知りたい。切実に。

ともあれ、僕は誕生日が嫌いでたまらない。
クリスマスだし、町はにぎわうし、人に会うときはドキドキしてしまう。
もしかしたら祝ってくれるのではないのかと、ちょっと期待してしまう。
毎年そうした浅ましい自分の考えに呆れともいえる感情が湧いてくる。
ただ、誰かしらにプレゼントをもらえればいいという訳でもないし、祝いの言葉を投げつければ満足するわけでもない。
僕が欲しいのは、僕を心から祝ってくれる人からの言葉が欲しい。
プレゼントは無くていい。見返りのない感謝がただ欲しい。安心することができるから。
一体だれが、僕のようなこんな欲張りな願いをもつ醜い人間を祝ってくれるというのか本当に疑問ではあるが、
幸福なことに、僕ととても長い付き合いの友人ただ3人だけは忘れずに祝いの言葉とプレゼントをくれる。
そのおかげで毎年無事にこの日を乗り切ることができる。
感謝がいっぱいだ。メリークリスマス、いつもありがとう。