こめろぐ

意味のないコメントのような、日々生成されるログのようなモノ

24回目の夏について

近頃、雨によって阻まれていた暑さが勢いを付けてやってきたのを肌で感じる。 憎らしいあの蝉の声、日差しが直接降り注ぐ青空、空気そのものが生きてるかのような熱。 24回目の夏が始まったのだ。

こうやって夏の回数を数えると不思議なもので、たった24回なのだ。 当たり前だが、1度とて同じ夏は無い。

私が記憶している限りでは、12回目あたりからで当時は毎日自転車で川へ水遊びをしていたはずだ。

13回目は人が倒れるような気温の体育館でボールをネットに放り込んだりもしていた。 そのあたりから地域の祭りも特別な意味を持ち、少年が知っている限りの好きを一生懸命伝えようともした。

17回目でその好きは伝わった。
初めて遠くの海へ旅行に出かけた時だ。 知らない場所へ行くために、知らない電車を乗り継いだ。たしかガラケーで経路を調べたり精度の低いGPSで地図を調べたっけ。
検討もつかないくらい遠い駅から、熱いコンクリートを2人微妙な距離感で歩いて15分。
命からがらチェックインして2階へ。
海が少し見える想像より少し綺麗な部屋になだれ込んで、いつの間にかうたた寝をしていた。
目覚めたのは夕方で、予定にギリギリ間に合ったのを覚えている。 海辺で花火を見るために連れ出して、人の群れより少し外れた砂浜で腰を下ろしたんだ。 それから時間を確認して後10分、雑談が上の空になった。
後5分、伝えたい事がありすぎて頭がめちゃくちゃになった。
後1分、心臓の音がうるさくて泣きそうになった。
花火が打ちあがった。手をつないで伝えたんだ。

18回目は一緒に地域の祭りを回ったな。花火も見た。遅れて会場にきた彼女を走って迎えに行ったんだ。
途中でとんでもない爆音を合図に夜空一面に光があふれる花火があったのを覚えてる。

19回目は一人暮らしで借りた私の木造アパートに、みんなを招いて夜通しゲームやどんちゃん騒ぎをした。
寝てるのか起きてるのかわからなくなるくらいずっと遊んでた。
それから、地元に帰ってまた川でバーべーキューだ。
イカを投げて、肉を焼いて、飛び込んで。
仕事の疲れなんか忘れて夢中で遊んだんだ。

20回目もそう。
夜通しゲームして、川で遊んだ。 夢の国にも行ったっけな。

21回目は少し違う。
夜通しゲームもしたし川でも遊んだが、
嫌になって仕事を辞めて、辛くなって夕日を引っ越した新しいアパートの屋上から見ていたっけ。
それから山奥の川へ釣りに連れ出してくれたんだ。車中泊で3泊4日。
初日の夜で初めて見た星の海、天の川は本当にきれいだった。

22回目もやっぱり夜通しゲームをして川で遊んだ。

23回目も。

私は違和感がある。
回数を重ねるたびに語るべき思い出も、印象的な風景も、匂いも、情景もすべて違う。
それなのに同じような部分が増えているように感じてしまうのはなぜなのか。
あまつさえ、劣化しているとすら感じる。まるで自分が見ている世界がレンズ越しのようで、そのレンズが汚れていくような、曇っていくような、ピントがずれていくような感覚を覚えている。
17回目の祭りと24回目の祭りは違うのに、どうして17回目の祭りには勝てないのか。
こんなにも鮮明に覚えている17回目の海の美しさを前に、これから行く24回目の海は果たして美しいのだろうか?
どうして回数を重ねるたびに夏の密度は下がっていくのか。
時間さえも過ぎ去る速度はあっという間なのに。
それがたまらなく悔しくて、辛くて、私は夏が始まるとそのすべてを思い出して比較してしまう。
蝉の声すら、今の私には古いひび割れたスピーカーから聞いてるような気分になる。
どうしたらあの夏より素晴らしい夏に出会えるのだろうか。

地元と思い出

最近地元に引っ越しをした。
実家に帰るというのを選択もあったが、色々な事情からやめてその近所に引っ越した。
色々が無ければまた、父と一緒に暮らしたいがそれでも一緒にいる時間は確実に増えるので良しとする。
引っ越し先は、小学生時代でも見知った場所で目をつむってても行ける所にあり、新しい生活や環境にわくわくする気持ちなど微塵も無く、代わりに見知った土地と風景で安心した。
自分の年齢から考えると、間違いなく多くの引っ越しをしたがどうやら僕は地元が大好きなタイプらしく非常に満足している。
多くの人は新しい環境や知らない土地に冒険をするかのような心持ちで、行動するらしいが僕はそうじゃないって事が分かった。

さて、懐かしい思い出の詰まった場所に戻ってきてその思い出をなぞるように街をうろつくと、やはりというか町並みは少し違っているもんで。
少し近代化が進んでいて間違いなく便利になっているが、今思えば古ぼけてても風情のあったいつもの駄菓子屋は無くなってた。
工事中だった場所が道として機能してたり、家があった場所には空き地、コンビニになっていたり覚えのある風景に少しの違和感を残す。
そして悲しくも思う。
自分が変わっているように、町も間違いなく少しずつ変わっているのを実感する。
多分僕は前だけを見て生きていないから、こうやって自分の思い出が本当に自分の中だけの思い出になるがたまらなく悲しい。

僕の思い出話になるが、中学と高校時代はひどくポジティブだった。
以前の記事でも言及してるかもしれないが、今と比べ物にならない。逆境が大好きで燃え上がったし自分を精一杯貫き通してたと思う。
その時に生まれた家族とも思える確かな絆は今でもつながっているはずで、今でも僕を支えてくれてる。
でも、昔と関係性が違うのも事実だ。
大人だから、もう夜遊びはしなくなった。
無理を押して泊まったり、どこか遠くへ行かなくもなった。
やりたいことは確かにあるのに、妥協をして遊ぶようになった。
子供だったあの時なら、満足するまで夜遊びした。
無理を押して泊まりに行って、どこか目的の遠くまで行った。
やりたいこと全部成し遂げようと、全力で遊んだ。
分かっちゃいるが、どこか虚しさが僕の心を満たしてしまうんだ。
それでも追い縋るように、昔の僕たちのまんまだって言い聞かしてたばこを吸いこんで虚しさをだましだまし飲み込む。

こんな感じで僕は、思い出に追い縋ってる。
そうしないと明日や未来に希望が持てないから。生きるためにそうするしかない。
いや、少し違うかもしれない。
確かな絆があった友人にひどく裏切られたから、今を生きる人間が怖くなってしまったのか。
今の人間に裏切られたから過去ならば、思い出ならば僕を裏切らないから逃げているだけか。
僕は、君をとびきり特別だと思っていた。運命共同体だとお互いに本気で思っていたはずなんだ。
だから困ってたら助けるし、いろんなことを共有してきたはずだろう?
でも君は、僕を何度も裏切った。
そのたびに許し、信じた。
結局君は多くの人から好かれるほうが良いらしい。それは人間として自然な事かもしれないが、それでも君はその自らの口で僕を運命共同体だと言ったんだ。
遊びに誘っても食事に誘っても、君は別の予定で上書きをする。
挙句、連絡をよこすときは大体助けを乞うときだ。僕が助けを求めてる時君は昔と違って助けてくれない。
なにも自分が助けてほしいから、君に恩を売ってるわけじゃない。
礼儀を踏まえた立ち振る舞いをしてきたと思う。僕は運命共同体だといったその言葉に誓って全幅の信頼を寄せ、できること全部をしてきた。
それでも君はどこまでも利己的にふるまう。
お金を貸した。
返済日当日は時間がないから次の日に返すと君に言われた。
返済日近くに、僕の都合で生活するのに必要になったから返済日当日何とか時間を作って振り込みをしてほしいとお願いしたら、
君は、自分の問題なんだから自力で何とかしてほしいと言った。
僕はその言葉に心底ショックを受けたよ。
あぁ、無理だなって。君の考えてることや気持ち含めて理解できないなってね。
色々あったが、結局なんとか返済日当日に返してもらえた。
でも僕は前の気持ちに戻れない。
器が小さいかもしれないが、本当に無理だったんだ。
心の底から嫌悪してしまう。

そこからなんだ。
より一層思い出に逃げるようになったのは。
今の人間と生きずらくなったのは。
だって、数十年一緒にいても分かり合えないならもう無理だろう?
そもそもどこまでいっても他人なのを思い出したよ。
心のどっかでは、いつかきっと分かり合えるはずって思ってたけど僕には無理だって理解した。
そうなってくると生きずらくなってきて、いろんな人が少し怖くなる。
ちょっとの言葉の祖語で解釈が異なって、簡単に勘違いする。
テレパシーでもない限り分かり合うことなんて無理だ。
こうなってくると人を愛すなんてできるわけもなく、コミニュケーションのやり方さえ忘れていく。
誰かと話すのが億劫で難しい。
共通の話題があるわけでもなく、引き出すようなお話ができるわけでもない。
どうやって会話してたのか分からず、話す言葉の数が少なくなっているのがわかる。
この先もどんどん難しくなると考えると、生きるのが怖くなる。
なまじ出来てた分、出来なくなるのはより恐ろしく感じる。
生きてく以上他人とのかかわりはあるもんなので、僕にはたくさんの障害があるように思えるようになった。
ただ生きようと思っても難しい。

また、何かを書こうとしたときに未来の僕がこれをみてどう思っているのかとても気になる。

ゆっくり諦める

久しぶりに自分のブログを見て、前回から随分と時間が過ぎているのに気が付いた。
沢山書きたいこともあったし、何度も文章を打ち込もうと思ってもいざ帰宅してみると薄い霧のようにスゥーっと忘れてしまう。
随分と時間が過ぎた中では、しがないバイトから自身の経歴と年齢からみれば少しばかり待遇のいい正社員へとジョブチェンジを果たしたり、長い付き合いの友人が海外に留学する話が決まっていたりする程度でさして日常は代り映えがなく過ぎている。
この代り映えない日常の中でさえ、よくよく考えると以前より大きく変化している事に気が付いたり、やっぱりさして変わらない事もあると確認したり出来るので過ぎ去る日々は偉大である。僕に多くの考えることとダメージを残してくれるのだから。

さて、今回は僕個人における音楽趣味の変化と、先の話に出てきた留学する友達とそれに追従する人間関係に対する姿勢について書こうと思う。

僕がまだ学生だった頃は、テンポが遅くてピアノが綺麗な悲しい曲とか、ゆっくり語り掛けるような静かな曲、呪詛のように愛を引きずる歌詞の曲、直径三十センチの地球儀を持って旅をする曲みたいな感じの音楽が苦手だった。
どうして、そんな悲しくてテンションの落ちる曲を好き好んで聞かなくちゃいけないのか理解ができなかったのだ。
対照的に馬鹿みたいに明るい曲、鼓舞させられ勇気をもらえるような曲、ひたすらに愛を伝えるような曲が好きだったようで。まるで自分がそんな輝かしく素晴らしい世界に生きてるみたいな気分で聞いてたと思う。
残念ながら今はその気持ちがさっぱり理解できなくなってしまっている。馬鹿みたいに明るくしても楽しくない事のほうが多いし、たとえ勇気をもらって踏み出しても大体報われない。ひたすらに愛を伝えても分かり合えないでほかの男と遊ばれる始末だし。
そんな感じで、頭に様々な思い出がよぎるので全く共感すらできないのだから聞いても楽しめない。
音楽のルーツが共感や思いとか言語化できない何かを伝える事にあるのならば、先に挙げたような明るい曲は今の僕にはあまりに不適切であるといえよう。音楽のルーツかどうか専門家ではないので不適切な表現かもしれないが。
そんな訳で、今の僕は絶賛ゆっくりとした悲しい曲が好きなのだ。
毎日が耐え難いくらい辛いことをごまかさず、辛いととらえてる歌詞が好き。その上で、何とかなるみたいな希望的観測は一切なく只々誰か救ってくれと祈るような歌も好きだ。
自己嫌悪は繰り返して、拗らせ手遅れになってしまった絶望を、現実は残酷で救いや逆転はなく、誰かを助けようが良いことをしても報われない事とか
そういう美化しないそのままの世界が感じ取れる歌詞と歌に最高に共感できる。
そして、そういう曲を聴いて自分の思いを代弁してもらっているような充実感と、"あぁやっぱりな"って諦めて向き合えるから。あとちょっぴり酔える。
音楽の変化は人生の転換期と誰かから聞いたが、僕の場合は上向きの転換ではなく下向きの転換だったと思う。
このような曲をカラオケで歌ったら病んでると言われてしまったが、仮に僕が本当に病んでるとしたらそれはもうどうしたらよいのでしょうかね?
精神が病んでる事を認めたら、僕は自分が正常でないと認めてしまう事になってそれに耐えられる自信がない。ただでさえロクデナシなのだから。 話は大きくそれたかもしれないが、音楽家ではないにしろ、僕にとって音楽は精神と大きく結びついている。

くだらない自分語りが一つ終わったけど、残念ながらまだあと二つもある。
もしこのブログを見つけてここまで読んだ探求心のある人がいるなら応援メッセージだ。残念だったな。まだまだあるぞ。

冒頭のほうで、少し話したが長い付き合いの友人が海外に留学することが決まった。8月末だそうで、残された時間はわずかだ。
たかだか留学と思うことなかれ、向こう2,3年は帰ってこないみたいなので僕としては超大事。友人の彼女は健気に待つそうだ羨ましい末永く幸せに。
なぜ、一人の友人の旅立ちが僕にとって超大事かというと、彼がいなければ昔ながらの友人グループが成立しない可能性があるからだ。
生涯遊び人にとって、これ程の大事があるだろうか?
学生だった頃は、友人グループは活気に溢れ毎日のように夜更かしをしグダグダとしゃべっては野を走り回ったものだが社会人になってからはあっという間に遊ぶ頻度が落ちていきLINEのグループでは発言するものはいなくなった。
喧嘩して遊ばなくなった人(今現在はまれに遊ぶ程度に回復した)も出てきたり音信不通になるやつが複数人現れまともに連絡できなくなったりし、大きく環境は変化して僕はとてもショックだった。
最初は僕も改善しようと、遊びを昔以上に提案したり引っ張ろうと頑張ったが空しくラインの既読が増えるばかりで途中で僕はグループは終わったものだと諦めかけてしまうことがたくさんあった。
しかし、この大きく変わった環境に負けることなく遊びに誘い続けたのが彼だったのだ。
正直、僕がもうこのグループで遊ぶのに諦めたあたりギリギリのタイミングで、皆を集めてイベントを作り楽しい思い出を彼はもたらした。
学生の時、僕に彼が楽しそうな顔でおじいちゃんになっても鬼ごっこがしたいと話してくれたその情熱を今でも維持して信じてるのを心から僕は尊敬し、そのおかげで集まれてた。
その彼が居なくなるのだ。
今の状況では、彼が居なければ集まるのは難しいだろう。
なにより、彼が不在では今のグループで遊ぶ気が起きないのだ。グループの皆は大好きだがそれでも素直に楽しめない気がしている。
純真に楽しさを追及することができなくなった、昔のような連帯感が感じられない。僕だけかもしれないが。
汗にまみれるのを嫌いになっていく、友達といるのが最優先だったあの頃はもう無い。
それぞれがグループに対して抱き求めるモノにズレがある。そんな気がしてならない。だから集めようと呼びかける言葉が出てこない。
なまじ学生の頃が楽しすぎたが故に現状と比較して悲観してしまう。

彼が数年後に帰ってきたとき僕はどんな顔をして話せばよいのだろうか。
僕自身、どのようにしたらいいのか何一つわからない。
ただ一つ思うのが、昔みたいには遊べないし別物なんだな、と。

さぁ、ようやく最後の一つだ。
ここまで見てくれた人よ。くだらない殴り書きでも楽しめただろうか?

音楽趣味が変わり、僕の一番大事な付き合いが消えそうになる中でさらなる変化がある。
人間関係に対する姿勢が、ネガティブになりかけているのだ。
最近は人と会うのが億劫で仕方がない。どこで何しても文句を言われてるきがするし、自分から連絡を取らなければほとんどスマホが通知を告げることもない。
これでも、せめて自分の友人には極めて優しくしてきたつもりだし多くの相談事や助力をした気がする。見返りを求めてやったことではないがここまで人望がないとかなりクルモノがある。
僕の価値とは所詮こんなものであり、さして皆僕に興味がない。そんな考えが日に日に頭を支配していくのだ。
他人は他人である。当たり前のことを今更気づいた。ならば、人に対して僕からわざわざ好意的に積極的にかかわる必要がないというのが最近のスタンス。
現代においては信頼や愛なんてのも、目に見えないのをいいことに無責任に振りまくことができる。僕はそんな今の人間関係には馴染めそうにない。
信頼も愛情もすべては行動のみで証明して強く結びつくのがあるべき姿で、それを不義理にも裏切るなんてありえない。そんな人間関係が結びたい。
だから、古臭いDQNが羨ましい。
こんな重たく古臭い考えだから、僕には人望がないのだろうか。
自分に一切の自信がない。こんなに書いても僕自身がその考えに一貫性をもって生きてきたか自信がない。
だから、ちょっとでも文句言われたり、否定されるとなんだか全否定されてるみたいな気分になる。
こんな感じの姿勢なので、希望を抱くのではなくゆっくり諦めることにした。
生活の事も、人間関係もなにもかも諦められれば受け入れられるかもしれない後ろ向きな希望を抱くのが今の精一杯。

とはいえ、タバコが案外悪くないから何とかなるかもしれない。
これを公開したあとも一服しようと思う。

タバコと煙と咳について

先に断っておくと、タバコに関して学術的な考察や研究、それに類する知識等の話ではない。
これまで書いた数少ない日記みたいなのと同じように、個人的な独白なので悪しからず。

この話は僕の父親が大きく関わってくる。
どうやら父親は、若き日には大小にかかわらず<悪いこと>をして、夜な夜なブンブンと喧しい音を響かせる相棒のバイクと友人を連れて走り回るような輩だったらしい。
僕が、学生の頃に原付を乗りたいと頼み込んだ時に「事故ると危ないからダメ」と断り、その具体的なエピソードとして語ってくれた。
その時に、悪いやつのマストアイテムであるタバコも覚えたみたいだった。
小学生低学年のある日に母と離婚してから、僕は友達と一緒に居たいが為に当時の家に残る父について行く事にしたその日から高校生に至るまで、
父は僕が一緒にいる空間ではタバコを一切吸わなかったのを強く覚えてる。
そんな父を僕はとても尊敬している。
なんだかんだ気を使ってもしてしまう、タバコと体臭が混ざった独特の<におい>。僕的にはとても安心する<におい>で今でも好きだ。
だからか、タバコに嫌悪はない。それでも吸う意味までは、父や僕の周りの悪い子に聞いてもよく理解はできなかった。
タバコに嫌悪はないが、吸う意味を理解できなかったのと、「こんなことにお金を使うくらいなら、お菓子でも食べたほうが甘いしマシだ」なんて考えの持ち主なので僕自身が吸うことは今現在に至るまでなかった。

僕が、タバコを吸うに至ったのは単純にストレス。
ありきたりなもんで、社会人2年目のある時仕事と友人関係、お金の問題それぞれ同時に不幸が訪れて出来事が出来事だけに誰に相談する訳にもいかずに、
抱え込んでいた時にふと思いついたのが事の発端になる。
父のタバコを吸って少しだけリラックスしている表情を思い出して、吸えば少しはリラックス出来るのかと思ったのと、
自分のキャパシティを超えた辛さに、死にたくなるというか自傷行為がしたくなったけど、自らの体に刃を向けるとは怖くてできないので
タバコなら、緩やかな自殺みたいに目に見えず、すぐに体感できない傷を内側に優しくつけられると思ったからだ。
決断は早く、ネットで出来るだけ甘いタバコを検索し、コルツのリトルシガーに目星をつけて会社近くで売ってるのを確認し帰りに買った。
家のベランダにでて、一緒に買ってきたライターを使って口にくわえたタバコに火をつける。
息をできるだけ吸ってタバコに火がついたのを確認して口に広がる煙を吐き捨てる。
次の一口はゆっくり吸って、<におい>を確かめるようにゆっくり吐く。
ふんわり香るタバコの匂いと甘いバニラのフィルターの味と煙の匂い。
ただ、吹かしただけだけど意外に悪くないなと感じたのをはっきり覚えてる。
次は肺にいれるように吸ってみると、多くの人が経験したように盛大に咽た。
咽るのが恥ずかしくて、もう一度肺に入れてみてもやっぱり咽たが、そこで頭がくらくら、ぼーっとするのに気が付いて吸いかけのタバコを消してその日はやめた。
部屋に戻って、手や服の匂いを嗅ぐと安心するあの<におい>がした。
ぼーっとした頭のままお風呂に入って、すぐに布団にはいり横になって今の状態なら確かに考え事はできないし
酔っぱらうのとは違う意味でリラックスできてるかもなんて感想を抱いて寝た。
これが僕の覚えてる限りの体験。

それからは、あのぼーっとする感覚を求めて、不安な時嫌なことがあった時気持ちが沈む時とかマイナスな時に吸うようになった。
幸いなことに、タバコひと箱消費するのに3カ月くらいかかるみたいなのでそんなにお金はかからないようで僕は安心している。
何回か吸っているうちに、僕はぼーっとするには咳き込むように吸わないとだめらしい。
なので特に嫌なことがあると涙がにじむくらい咳き込むように吸って肺にいれて、頭と心を麻痺させる。
これが、たまらなく甘い自傷行為なような気がしてさらに酔える。
人と吸ってる理由が違うかもしれないけど僕はこんな感じでタバコを始めた。
一人でこっそりと主に夜に人知れず咽ながら自分のために毒を吸う。
毒だってわかりきっていても吸わずにはいられないなんて滑稽で、なんて頭のおかしい行為だろうと僕は思うけど、
そうでもしなきゃ乗り越えられない自分の心の弱さがあることは認めているつもりでいる。
なんというか、人間味があるというかそういうある種の暖かさを感じる。
「僕は心が弱くて、自分を肯定できないからこうやって毒を吸って感じる痛みで生きていることを実感してるんだ。」
そんな感じで一方的かもしれないけどリスカやいわゆる自傷行為をしてしまう心理を学ぶことが偶然できた。

意味もなく悲しくなることが増えてきて、環境に絶望したり、人から裏切られるのではないかと疑ってなかなか信じれない自分に嫌気がさすことも多くなった。
以前よりも、人といるのが好きではない事に気付いて遠ざけるようになってからより一層人が恋しくなった。
所詮、他人である人と信頼を結び分かり合えることはないと思ってしまうのに
それでも一人は寂しいから誰か一人でいいからそばにいて欲しいと願うようになった。
こんなにも面倒くさい願い事を期待してしまう時にタバコはいい具合に僕を慰めてくれるから、最近は本と並んで僕のよき友達になりつつある。

明日の夜に僕は死ぬ

明日の夜、僕は誕生日だ。
自分がこの世に生を受けた日で、少なくとも少しは喜ばしい日なのは間違いない。
12月24日23時59分59秒から一秒後が僕にとって少しだけうれしい瞬間。
去年は仕事に追われて普通に寝ていたので気にしてないかったが、今年は普通に起きていることができるようなので
少しばかりの期待をしている。
しかし、その12月24日23時59分59秒から一秒後には僕は死んでしまう。
新しい21歳の僕が生まれるからだ。
こんなことを言ってしまうと、一秒後に自分は別人だとか、昨日の自分とはなんなのかとか、そもそも自分は連続して存在し続けているのが事実なのかとか
キリがないので、一年ごとに生まれ変わってるとしよう。
とにかく12月24日23時59分59秒から一秒後に僕は死ぬ。

この死ぬ間際に誕生日が本当に楽しかったのは子供の頃の数年間だったなと考える。
だって、サンタさんの正体には確か小学1年生の頃には気づいていたけど両親の暖かさをその時になんとなく知ることができた。
でも、サンタさんはゲームボーイはプレゼントしてくれなかったけどな。
それから毎年は自分の環境をよく理解できる良い1日になったと思う。
プレゼントはもらいないこともあるし、ケーキとかチキンとかおいしいものがない誕生日もある。
クリスマスと重なってるからクリスマスプレゼントは存在しない、自分の誕生日は基本的には自分しか知らない。
子供ながらに、他の子は色んな友達に祝って貰ってて羨ましかったのを覚えてる。
両親から新しいゲームをもらって、ケーキ食べて、友達からはガラクタから宝物まで色々貰ってて、自分と生きてる世界が違うんだっていうあの気持ちを今でも記憶してる。
というか、現在進行形でも味わっている。

今は、本当に自分の価値がよくわかる1日だと僕は思っている。
楽しい日じゃなくて、1年で自分の行いが他人から評価される日。
友達が多かろうが、少なかろうが、ボッチだろうが、
他人に良い影響を与えて、その成果が祝いの言葉やプレゼントみたいに直接感じることのできる評価となって帰ってくると僕は思う。
酷いかもしれないけど、ある人には誕生日プレゼントをあげたので少なくとも祝いの言葉くらいはくれるだろうと思ったこともあった。
ただ、僕の場合、そういう浅ましい期待は裏切られる経験しかない。この期待も例に漏れずね。
僕の評価は人望が少なく、あまり良い人間ではないというのを、毎年見えないサンタさんから誕生日プレゼントとしてもらってる。
今年もそうなりそうなのだ。
こうして考えると、良い子にしてないとサンタさんはやってこないのは本当かもしれない。
サンタさんとは自分が他人に良いことをして得られた評価の事なんじゃないのだろうか。
人望のない僕は絶望的だ。
僕は結構自分より友人を優先するようにしているつもりなのだが、人望がないのはなぜなのか知りたい。切実に。

ともあれ、僕は誕生日が嫌いでたまらない。
クリスマスだし、町はにぎわうし、人に会うときはドキドキしてしまう。
もしかしたら祝ってくれるのではないのかと、ちょっと期待してしまう。
毎年そうした浅ましい自分の考えに呆れともいえる感情が湧いてくる。
ただ、誰かしらにプレゼントをもらえればいいという訳でもないし、祝いの言葉を投げつければ満足するわけでもない。
僕が欲しいのは、僕を心から祝ってくれる人からの言葉が欲しい。
プレゼントは無くていい。見返りのない感謝がただ欲しい。安心することができるから。
一体だれが、僕のようなこんな欲張りな願いをもつ醜い人間を祝ってくれるというのか本当に疑問ではあるが、
幸福なことに、僕ととても長い付き合いの友人ただ3人だけは忘れずに祝いの言葉とプレゼントをくれる。
そのおかげで毎年無事にこの日を乗り切ることができる。
感謝がいっぱいだ。メリークリスマス、いつもありがとう。

訳の分からない作法とマナーのせいなので、代わりに変わりに奇声をあげましょう

僕はお酒は好きだけど、大勢で飲むのが嫌いだ。
最近は日本酒のおいしさに気付いて、焼酎がちょっとだけ苦手になったりしたけど、相変わらず甘いカクテルは好きなまま。
食事と一緒に飲むお酒は苦手で、どちらかというと牛丼一杯食べて少しお腹に入れてから、
4人から2人くらいの人数で話をつまみにしてゆっくりとお酒を飲むのが理想。

世間じゃ忘年会だのなんだので、グループで飲むのが非常に多い時期なもんで、僕もそのグループで飲むのに参加した。
自由参加だけど、立場や今後を考えると出席せざるを得ないから、表面上は嬉々として、心情的には渋々と、お店へ向かい一緒に乾杯。
苦くてあまり好きではないビールを笑顔でガブ飲みして雑談をする。
そうこうしてると頼んでもないのにビールを継ぎ足されるのでまたガブのみをかます。
これだけ嫌なことを嬉々としてやれるのだから世間のサラリーマンは大した演技能力だと思うし、自分の演技能力をほめてやりたい。 味は確かにおいしい料理をたくさん頬張りながら雑談に相打ち。
その中で、若輩者である僕に無礼があったようで、飲み会のマナーや作法をレクチャーされる。
すっっっごくありがたいことなので、真剣を装うことに全力を注ぎレクチャーを受ける。
次からは気を付けるように、次は僕がやるようにと念を押されてレクチャーは数分で終わったけど、僕の口から発せられる肯定の言葉とは真逆に僕の内心は二度とやりたくないから飲み会なんて行きませんという決意が満ち溢れた。
ありがとう。僕に飲み会を断る理由と決意をさせてくれて。
それだけでも、あのレクチャーには意味はあった。

そして宴もたけなわ、終わりを迎えて幹事が締めの音頭を取る。
グダグダな音頭の後に店を出て解散。
ここでようやく本日の業務が終了するわけだ。
今日の収穫は、日本における訳の分からない飲み会のマナーと作法の存在の確認とそんな面倒くさいマナーと作法のある飲み会には行かないほうが良いという教訓である。
わざわざ自分の時間を消費して、気を張り続けて疲れる飲み会に行く必要がないと気づけたけど、
立場や環境、状況によっては行くしかない今の自分のポジションを呪いたい。
行きたくないし、きっぱり断りたいけど、今後の関係を考えると僕は世間知らずで無作法な若輩者として参加せざるを得ないようだ。

気分転換するように風呂に入って、さっぱりしたところでアルコールに弱い僕は、
少しの頭痛がする頭で文章を書いている。
ふわふわしてるので、とてもよく眠れるだろう。
よく眠って目覚めた次の日にはめんどくさい作法とマナーは存在が無くなっていて代わりに、
変な奇声を上げる文化が根付いていることを祈る。
そのほうがまだ救いようがある。

ニュータイプになれない

僕はニュータイプになりたかった。
小学生の時に、親の影響で1stガンダムを学校をサボって一気見して以来ガンダムシリーズの虜だ。
1stを見終わった後、すぐにガンダムSEEDが放送開始されたけど話がつまらなくて見るのを辞めた記憶がある。
多分、コーディネータの種割れが理解できなかったんだと今になって思う。
あれは話自体がドロドロして子供ながらに楽しめなかった。もちろん、楽しめた小学生もいたのだろうし、デザインは当時も気に入っていたのでお話関係なくロボ見たさに視聴してる人もいるだろう。

話を戻して、僕はニュータイプになりたかった。
中学や高校と学校生活を経験してる真っ只中で、まともに付き合っていた彼女と別れた時がきっかけだ。
彼女の男遊び癖と、寄ってくる男をキッパリ断らずにキープまがいなことをしている彼女に苛立ちと、心の底からの裏切りを覚えた。
良く話し合ったけど理解することも、和解することもなく僕から別れを告げて関係を終わらせた。
僕は今でも心の一部に残るくらいに彼女を愛していた。
その思いが、確かに彼女の心に伝わっているかは僕からはわからない。
彼女の心が僕のほうを向いていたらきっと別れるなんて、選択はしなかっただろう。
別れてから、僕は心底思ったんだ、分かり合えてなかったんだなって。
絶交して蒸発してしまった、親友とだって分かり合えてなかった。
馬鹿みたいに夜更かしして相談したり、くだらない話で真剣に議論を交わしたし、一緒に青春を一通り経験してきた彼ともなんだかんだお互いを理解できていなかった。
まだまだ沢山ある。
両親と喧嘩したとき、どうしようもなくて泣きたいとき、目の前が真っ暗になった絶望とか、明日のご飯がなくて途方に暮れた時とか、すっかり頼ることを忘れてどうやって助けを出せばいいのかわからない時の気持ち、ずっと抱えて頭がいっぱいになってるときとかいっぱいある。
そんな時に、アムロララァみたいに、アムロとシャアみたいに一瞬でも心が通じ合って理解することができたのならもう少しマシな結末になれたのではないかと思う。

今もそうだ。ニュータイプになりたい。
上司の指示の真意をわかるようになりたいし、兄弟とまで感じる親友の無謀な行動に至る考えを分かり合いたい。
たまに惚れそうになる女性に僕のこの気持ちを分かってほしいし、エッチは二の次でいいから優しくハグだけしてほしい気持ちがあるってのを知ってほしい。
僕が心の底から叫んでるモノをそのまま伝えるには僕がニュータイプにならなきゃだめだし、
相手もニュータイプになる必要がある。
だから、ちょっとだけシャアの気持ちがわかるようになった。

バナージのように、人の痛みや悲しみ憎しみ色々感じて潰れそうになっても、
それでも、と立ち向かえる強さを持ってこれから生きていきたい。